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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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戦国時代の備前高松城主・清水宗治は、羽柴秀吉の毛利攻めを迎撃して水攻めにあい、和睦に際して、城兵の命を救う為に切腹を果たした名将で、清水家はその後も毛利家に仕えて、「寄組」の一家として重用される家柄になったそうです。
ところで、宗治の後裔、「清水清太郎」については、
 
 
清水清太郎は三家老とともに切腹を命じられた、とか
清水清太郎という人物が幕末明治の長州にいる、とか
清水清太郎は前原一誠の捕縛に関わった、とか
 
いろいろ記述が散見されて、しかも時代が夫々微妙に符牒しないので、なんだかヘンだな、と思っていたところ、幸い、とあるサイト様が清水家の詳しい経緯を載せておられまして、縮る所、3人とも清水清太郎と言う名の別人だった、というオチでした。
 
清水清太郎親知
(清水末家から養子に入る、家老職に掌る、元治元年に賜死)
清水清太郎親春
(美作、親知の死後に再家督、第五奇兵隊総督、明治8年死去)
清水清太郎
(譲吉、明石藩士間宮小十郎の息子、美作の養子、明治2~3年頃に
家督相続、前原一誠の
逮捕に関わる、門弥と改称、明治42年死去)
  
 
親春氏は親知氏の養父で、彼の死後に再び家督を継いだそうです。
譲吉氏は美作氏の嫡子が成人するまでの中継養子で、結局は離縁を言い渡されて、「清水清太郎」から「清水門弥」へと改称したのだとか・・・。
誰が悪いという話じゃないでしょうが、胸にずしんとくるなあ。
  
 
そういえば幕末明治ってそんな時代だっけ、と、
久々にジェネレーションギャップを感じました・・・。
 
*参照
田村貞雄氏「前原一誠一行を捕縛した清水清太郎」2002年、山口県地方史学会
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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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