お花見シーズンは今週一杯かなと思って、せっかくだから出不精の足をひきずって花見に行ってきました。
場所は靖国。
木戸さんが植えられた桜を、生きてるうちに見ておきたいと思って。
が。朝10時に出発のはずが寝坊、家出るのが1時半に。途中で財布を忘れ、電車の乗り換えに迷い、飯田橋に着いたのは3時。2時に家に帰ってくるとかなんかそんな予定だったはずなんだけどなあ。おかしいな。
なんとか駅でツレと落ち合い、木戸さん家の前を通りすがりつつふらふらと神社へ。
益次氏の銅像のあたりの桜は少し散りかけていたけど、境内の桜のほうはまだ満開のものも多くて、とてもきれいでした。入り口付近は花見客向けの屋台がたくさん並んでちょっと乱雑でしたが、境内はさすがに空気が違って、人手が多いにも関わらずなにか荘厳な雰囲気が漂う気がしました。
明治以降の大戦の名残で、戦友が故人を偲んで植えたと思われる札付きの桜も数多く見られました。右とか何とか色々思われるのを覚悟で発言しますと、日本の国難がこうした国や民や家族を思う数知れぬ人々の努力と尊い犠牲によって乗り越えられてきたことを思うと、普段生ぬるい人生送ってる自分がすごく申し訳ない気になる一方で、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思い出させてくれる気がします。
途中、「維新の元勲木戸孝允公」が桜を植えられたことの由来を記述した看板を発見し、ちょっとほっとする。よかった、木戸さん忘れられてない・・・!(おい)
そういえば、私の知る限りでも、神社中には木戸さんの名前が載っている看板が3つもある。練兵館跡碑と境内の桜と益次氏の銅像下と。(探せば他にもまだあるのかな?)弥二像や木戸さん家とも近いし、九段下周辺はさながら東京における京都木屋町ストリートのようだと思うんですが、どなたか賛同してくれる方はいらっしゃいませんか(笑)
ところで弥二像ってどうしてあんなところにあるのでしょう。私は歩道橋の上からしか眺めたことないんで知らないんですが。
さてさて、私はまったく下調べもせず無知なまま靖国に行ったのですが、ちょうど境内の遊就館で「特別展 幕末維新展」をやっているとのこと、もちろん即ツレ引き摺って駆け込みました。そういえば近頃他の幕末ブログさまで、「靖国行ってきました」とか、ちらほら書き込みを拝見しましたが、これのことだったのか。危うく見逃すとこだった、危ない危ない!
しかしまあ結論から言えば、入場するのが遅すぎました。閉館時間が5時半、入ったのが4時半。おまけに何も知らずに常設展と合わせて切符を買ってしまったために、およそ12の部屋を50分で回覧する羽目に。
さすがに全部は無理とあきらめ、心の中でごめんなさいごめんなさいと謝りつつ、次回のリベンジを誓って全体をざっくり回るに止めました。
維新展の方で目に留まったものをいくつか挙げると、一番ウケたのが、安政4年頃の幕府による指名手配書。西郷吉之助・高杉晋作・平野次郎の名前とそれぞれの人相書が記されているのですが、これで本人を捕まえられる幕吏がいたらちょっとすごいぞと思うくらい、全員似ても似つかぬご面相でした。西郷どんはまだちょっと太り気味な輪郭で辛うじて?といったところですが、ひどかったのは高杉。たれ目だった。たれ目の高杉。うはははは(笑)。ところで安政4年て、幕末一連の尊皇攘夷活動でも結構早い時期だと思うんですが(なんせ松陰先生がご存命の頃だし)、なんでもう既に幕府に目をつけられているんでしょうこの男は。というか物の本によれば安政4年て、高杉がまだ松下村塾にいる頃らしいんですが。年間違いかな?
さすがに武器展示も多かったです。なかにはゲベール銃とかスナイドル銃とか、ミ二エー銃と勘違いされて官軍に採用されていた銃だとかの展示もありました。ちょっ、なにそれ、初耳なんですけど!なんて名前だったか失念してしまったので、リベンジの際にぜひ確認してこなければ。
あと一番最後にあったのが、時期も所蔵も不明ながら長州十一士なる人々の花墨を集めた巻物とかで、特に大村先生と周布公平氏の部分が公開されていました。この巻物、他に聞多とか弥二郎とかあと市だったかな?の書簡も含んでいるらしいんですが、なぜ居並ぶメンツの中からよりによって大村先生と周布君を選んで公開したのか(先生は分かるんですけど)、企画者様の意図が気になるところです(笑)。公平君の花墨は初見聞でしたが、堂々と安定した墨の跡で個人的に好きだと思いました。私は書道は全くの門外漢で、この字が上手いか下手かさっぱり分かりませんが、たぶんそう下手じゃない・・・のかな?大村先生は、なんかすらすら書いてる感じ。選ぶ言葉遣いが丁寧に感じて印象的でした。
閉館ぎりぎりまで粘って、遊就館を後に。
行きは青空の下の桜でしたが、帰りは夕闇の夜桜でした。
この世は桜も月も涙だと言った木戸さんが今は安らかな気持ちで居てくれればと思いつつ帰途につきました。ちょっとくさいか。(笑)
帰り際、九段高校の外壁に「平成18年文部科学大臣賞受賞」、「21世紀の健やかな教育推進全国最優秀賞」の垂幕が張ってあるのが見えました。うはは、木戸さんのご遺光でしょうかね?
あ、弥二みるの忘れてた。
仕事場的に大詰めだった2月を終えて、3月はまあ楽かな~なんて軽く考えてたら、意外とたまっていた事務作業やら書類整理やら税務申告やらに追われました。
というかブログ放置しすぎた・・・まずい・・・・・・
というわけで、これからは定期的な更新を目指そうと自己反省。せめて一週間に一回くらいは更新しようと思います・・・(_ _;)
ブログは完全停滞の一途を辿ったものの、歴史フィーバーは少しも醒めてはおりませんです。はい。近頃は、木戸さんの周辺の人物を探ることによって木戸さんの人となりを考えてみようと思い立ちまして、ちまちまと長州・明治関係の人たちの履歴をつまみ食いしたりしてます。
で、先日、国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で、吉富簡一を検索してみたんですが、意外に面白い記事に出くわしてしまい、たまらず大爆笑。
木戸照陽著「日本帝国国会議員正伝」(田中宋栄堂、1890年)からの引用。
(・・・来歴調べたわけじゃないけど別に木戸さんの親戚じゃないですよね?)
タイトルからして帝国主義的政治臭ぷんぷんな一冊。しかし。
以下吉富さんについての噂話。↓
「君人となり洒々落々にして快罵善嘲に富めり曾て鳥井坂に至り井上顧問の邸に在りて交友と酒宴と催ふせいしときに君は交友をして一驚を吃せしめんと欲し間を窺ひて席を去り密かに屋上に上り匍匐して二階の坐敷に通らんとせり座客はスハ曲者御参られ吾れ彼奴を捕へて主君の御感に預からばやと一同、腕を擦り飛び掛って上を下へと混雑し揉みあひへし合い遂に曲者を縛し燈火を点じて熟視すればコハソモ如何に曲者に思ひしは曲者にあらずして主君の一臂と頼まれたる吉富君にありてければ一同、目と目をを(ママ)見合して抱腹絶倒したりと云ふ以て君が井上顧問に對する親疎の程度を見る に足るべし」
・・・・・・うん、まあ、聞多とか木戸さんの親友って時点で常識人は期待してませんでしたけどね。そうかやっぱり変人だったか!照陽さんも「親疎の程度を見るに足るべし」って、結論はそこなのか。そこでいいのか。
いくら仲いいからって、人ん家の屋根に上って家人を驚かせようなんて、政治家の・・いや、いい年こいた大人のしていいことじゃありませんよ吉富さん。
「洒々落々にして快罵善嘲に富めり」は、たぶん本当にそんな人だったんだろうなと推察し奉ります。だって普段は丁寧な口調を崩さない木戸さんが、この人相手だとやたら辛口でくだけた手紙を送ったりしてるし。木戸さんは相手を見て自分の口調を決める人に違いないと思うんですよね!ええきっと!(無駄な信頼だなおい)
しかし木戸さんって、付き合う友達がみんな変人ばっかり。
そしてなぜか酒を飲むとトンデモ行動に走る人が多い。
(s布さんとか高sくんとか容d先生とか、つか吉富さん、アンタもか!)
まあ木戸さんも変人で酒飲みだからお互い気が合うんでしょうね、きっと。(結論)
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