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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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暑いですね。
なんだか仕事が忙しくて、毎日が過ぎるのが早いです。
明後日から2週ほど休日返上が決まってしまいました。
あああ。
 
  
 
「行在所電信原書4」(←いまだに進んでない)
4月17日 大坂発・京都行電報

午後6時
「鹿児島県大書記官田畑常秋
官位剥奪の伺は条公御検印を乞候上、岩村県令へ御達相成筈、然るに同人も未だ此地へ着せず、故に本日各艦長へ御達相成ては不都合に付、今一応御報知に及ぶまで、御達方全てを見合せありたし」

午後12時
「電報承知せり、田畑官位剥奪の事、既に達しになりし上は最早それにて宜しと大久保参議も申されたり



条公は三条実美、田畑は田畑常秋。
田畑という人は薩摩藩士で、「デジタル版 日本人名大辞典」によると、鹿児島県令・大山綱良が西郷軍と通牒した容疑で逮捕されると県令代理となり、西郷軍に食料兵器を供給。新県令・岩村通俊が着任すると、明治10年4月に自殺した人物、だそうです。
大山氏と交代した意味あったんか?

しかし、なんでこう薩摩っ子は西郷どん大好きな人が多いんだろう。
大久保・木戸目線で西南戦争を見てると、武士が救われりゃ日本はどーなってもいいのかよー、って、思わず呟きたくなるんですけど、そんな不条理も軽く吹っ飛ばすような独特のパワーみたいなものが、薩摩の土地には漲ってる気がする。いやふっ飛ばしちゃマズイと思うんだけど。

だけどさしもの大久保さんも、今回は心なしか切っ先が鈍り気味な気がするな。少なくとも江藤の時より鈍ってる気がするな。
大久保さんにとっては、この件はもう終わった事なだけかも知れませんが。

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今週のアニメ銀魂の次回予告を眺めていたら、旦那がとつぜん、「そういえばコレ、木戸さんが出てるよ」とか言い出すので驚いたんですが、どうもヅラのことだったらしい。なんだビックリした!
つかヅラを木戸さんて呼ぶのは止めて(汗)!



「行在所電信原書 四」及び
「行在所太政官電報訳文 二」より


4月9日 
岩倉(東京)⇒三条(京都) 
 「土方久元御用有之、昨8日郵便船にて出帆、陸奥宗輝(宗光?)
  紀州御用筋に付、今日出帆せり、この旨報知す」


4月10日
時刻不明 兵庫⇒京都
 「土方久元、一昨8日東京郵便船にて出帆之処、未だ着不致哉、
 至急報を待つ」
午後4時 大坂⇒京都
 「土方久元、その地に着あらば御為知被下」

午後5時 岩倉(東京)⇒三条(京都)
 「土方久元、未だ着無之哉、到着次第一報ありたし」

午後7時 兵庫⇒大坂
 「土方、東京丸にて今朝来る由なれども、確かと不分」

時刻不明 京都⇒大坂
 「土方久元、唯今着せり」
時刻不明 三条(京都)⇒岩倉(東京)
 「土方久元、唯今着せり、委細は後より」


唐突に全国ではじまった土方さん探し
結局無事だったみたいですけど。。。一体なにが。
途中下船でもしたんでしょうか。



4月11日
午後2時 大久保・伊藤⇒三条
「紀州兵募集の事に付、東京より陸奥を彼地に被遣たる由、然るに同人関係しては頗る不都合也、右事件土方承知の趣に付、御尋の上、陸奥は速やかに西京へ御呼出相成、募兵関係を止めさせたく存ず」



陸奥は紀州に遣るな、詳細は土方に聞け。
・・・コレが関係してるんだろーか。しかしこの書面、イヤな匂いがプンプンするなあ。。。

久々に軌道修正。


「行在所電信原書 四」 4月11日午後5時 
黒田清隆(長崎)⇒三条実美(京都)宛抜粋

別紙のとおり念の為報ず、去る8日午後第2時頃、熊本籠城の兵一大隊、奥少佐引率して賊中を貫き当本営へ来る、是に依て城中の模様を確知す、来る20日迄は粥ならびに粟飯等にてなへぐべき由・・・

  
 
篭城中の熊本城から一大隊が脱出に成功した、というニュースの第一報。西郷軍相手に政府軍も持ち堪えてはいるものの、城中はもはや飢餓寸前!
で、報告を受けた政府は翌日、大久保内務卿より全国の都道府県に情報開示の布達文を下しました。



『去る8日午後第2時頃、熊本篭城の兵一大隊を、奥少佐引率して賊中を貫き、宇土本営へ来会せしを以て、城中の景況堅固なるを確知せし趣、(以下略)』

 
 
大久保さんの嘘つきぃ!!!!




・・・翌日13日に官軍は熊本入城に成功、政府軍は熊本城を守り通したそうです。

余談ですが熊本城中は当時、事実深刻な状態だったらしく、樺山資紀氏いわく、「谷子爵(=谷干城)の当時の苦衷と云ふものは、共に籠城した余等でなければ、到底想像だも出来ないであろうと思はれる。(略)余等一同は、栗の粥を啜り、砲弾で死んだ軍馬の肉を、是幸いと取って煮染にして喰」ったとか。
つか粥と粟飯どころか、粟を粥にしてるな、これだと。
 


「行在所電信原書・二」
(3月13日~3月19日)
を漸く読了。
明治10年2月~3月にかけて、田原坂・植木・山鹿近辺での激戦の報知記録。
特に、14日頃より、激しい戦闘が陸続。。


3月16日
午後5時発
大久保(大坂)⇒三条(西京) 抜粋
「14日巡査賊塁に斬込、歩兵三隊を分かち奮戦して田原の賊塁を取り、続いてスルイを抜き是を毀ち、尚街道に沿うて進み、戦い必死の賊六七十人を斃し、其内一塁を守る者、悉く盡すに至る、15日暁、賊田原の塁を襲い来るを、忽ち追い退けたる、此右にありたる金比羅山へ賊大挙して来り、官軍防ぎ戦い、左右より巡査抜刀して斬込、前面より歩兵進撃したるに至って、全く賊を追い払いたり、又熊本より来る者云ふ城内堅固、賊は弾薬キンコクに付、人家に押入り、棒を以て掠め取るにより、人民力を併せ防御する者あるに至る、右戦地よりの報知なり、右の趣本日府県へ達す、以て此旨上申に及ぶ」

3月17日
午前11時発
大久保⇒三条 抜粋
「(15日の)午後6時半、賊三百人を一昨日攻取たる台場へ斬込、比類なき激戦にて遂に追払たり、此賊は日向に屯在し豊後へ出る筈の処、俄かに田原坂へ向かいたる由、隊長は貴島という人也


午後12時発
大久保⇒三条 抜粋
「今抜取三台場へ昨夕賊攻め来たり、既に取らんとする時我手奮戦支えたり、此時オガタコレカズ即死他手負有、上田も出軍且過激の賊、鳥井他二名生捕尋ぬるに、篠原は戦死、軍役乏し
(オガタコレカズは姓名とも漢字不明、篠原は篠原国幹、鳥井は貴島清隊の隊員)

3月18日
午後4時発 
大久保⇒三条 抜粋
昨17日田原坂口の攻撃は、本街道の横手よりして電信柱の邊まで取りきり、側塁を抜き殆ど街道に臨むの勢也、但し本道の正面は激しく攻撃期したれども、側塁は要地を占めたるが故に、未だ抜くを不得、尤も側塁を離るる僅かに三間、賊は頻りに抜刀にて斬込に付、我軍も又是に応ず

3月20日 
午前10時発
黒田清隆(長崎)⇒三条 抜粋
黒木中佐に中隊巡査100名を率い、日奈久より上陸、賊の不意に出で賊参軍狼狽、分捕等有、高島大佐は八代に向う、下官は此兵を率い海路よりただちに八代を進撃の心算」
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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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