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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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ご無沙汰しておりました。
5ヶ月を過ぎて、再び思い出したようにログイン。
うう、我ながら情けない・・・。

6月の木戸さん誕生日は、我家なりに手の込んだ(一般基準で普通の)お食事でお祝いをして、大久保さんの誕生日は「はっぴば~すで~」と無気力に歌ってあげて、でも高杉さんの誕生日は普通に忘れてて(後で気付いて落ち込んだ)、
せめて周布さんの命日はきちんとしたかったのですが。あああ。

以下、お墓の話です。
 



昨日は母と谷中墓地に行ってきました。
連日の雨にも関わらず、すっきり良い天気に恵まれたのでラッキー!と喜んでたら、油断して遅刻した挙句、デジカメのバッテリーだけ置き忘れてくるという大ポカをやりました。使おうとしてから初めて気づいたというマヌケっぷり。ああ自分のバカバカ!


谷中には徳川慶喜や渋沢栄一ら、蒼々たる有名人の墓があります。
つーか、さすがに都内有数の都立墓地だけあって、広いしデカイ!
事務所で寄付金払って地図を入手したけど、何度も道に迷いました。
でも墓地にしては陰気臭くもなく綺麗でした。母曰く、昔は道路も舗装されてなくて、そこらじゅうが土でドロドロだったそうですが。そういえば墓地とか寺社とかって、昔はほとんど土がむき出しの地面だったんだよなあ。江戸名所図会とか見る度に驚いてしまうけど。
 

 
渋沢さんのお墓は柵に囲まれて立派でした。ちょっと木が育ち過ぎて暗い雰囲気になり掛けてたけど、夏はきっと涼しく快適なことでしょう。たぶん。
渋沢さんの娘婿にあたる穂積陳重氏や、その息子の重遠氏らのお墓は、ちょうど隣の区画でした。母の説明によると、舅と婿が相談して、一緒に墓地を買ったからなんだそうです。うわ、いい話だな!
 
 
慶喜氏の墓は、寛永寺の敷地内にあります。
といっても、一体どこからどこまでが寛永寺の敷地だったのか、私にはさっぱり分かりませんでしたが。だって寛永寺の墓所って、四方を谷中墓地に囲まれてるし、特に目立つ塀とかで区切られてるわけでもないし。ただ歩いていたら、ひたすら墓が続いてるだけだとしか思いません。もうぜんぶ谷中ってことでいいんじゃないのか?(←菩提寺の意味を分かってない)
 
 
慶喜氏の墓も、柵に囲まれてました。
もちろん葵のご紋付のヤツで(笑)
なんでも慶喜さんは増上寺に入るのを嫌がったんだそうですが、うーん、それでも寛永寺なんですね・・・。出自が既に徳川だから、あまり選択の余地は無かったのかも知れない。

意図せず、馬場辰猪や大原重徳の墓も発見しました。おおっ鵺卿!(←と思わず叫んだ馬鹿一名)
そういえば今年の夏に池袋の護国寺の墓地巡りもしたんですが、あちらにも大隈重信とか山縣有朋とか三条実美とか、蒼々たるメンツが居られて、谷中とある意味で好対照でした。あと青山を含めれば、明治人物墓地巡りマップの8割方は網羅できそうな気がする。
よし、今度は蚊の居ない時期に青山ツアーだ!
(墓参りの意味知ってっか?)
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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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