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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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 先週の水曜日、神保町を練り歩いた余韻のまま、うっかりamazonにて人生初のネット注文なぞしてみたところ、土曜に品が届いたのです。
でも三連休の間、ずっと外出しっぱなしで、見る余裕がありません
でした。しくしく。
本のタイトルはですね、『醒めた炎』上巻です。
(今まで買ってなかったのかよ!!)
これが自分のものだとか、ちょっと信じられません。
まだドキドキしてます。
ああ、もう延滞とか気にしないでいいんだ。。

 
 
 
懲りずに再び阪谷朗廬関係文書。
慶応元年四月 江木⇒阪谷
養母十七年法事伜ヲオ返シ願ウ新聞御覧ニ入ル兵庫港開港ノ閣老ノ書翰訳ヲ載ス京都ノ形勢鎖港攘夷イカナル議論ニナルヤ篤太夫ナル人講武館ニテ一見言ヲ交エズ此頃ハ妄リニ人ニ交ラズ 

やっぱり法要とか、昔は大切にされてたんですね。。
でも初見の篤太夫さんは無視する江木さん。
外来のお客さんでしょうか。
つか篤太夫て・・・まさか渋沢栄一じゃあないよね。。?
 

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昨日読んでた文書、あらためてタイトル眺めたら「阪谷朗廬関係文書」でした。げっっ。ってことは、阪谷→江木書翰だと思っていたのは、実は江木→阪谷書翰だったわけで、つまりはっちゃけてるのは江木さんのほうじゃん。。!
うわわ!
昨日のブログ読んでくれた皆様!うそ書いてました!すみません!
阪谷さんも、濡れぎぬ着せてごめんなさい!!
ど、土下座をば。。!


 
 
 
しかも江木さんとはどんな人かと思って検索かけたら、黒船で開かれた艦上パーティの席に、ドサクサに紛れて乗り込んだ人だとありました。
つまり手紙の内容も、「極密に異船に乗り込んで蒸気船を見たので、古賀先生にもその件について糸井からお話差げます、ペリーの似顔絵を先生のお目にかけます」、って意味で、要するに私はいろいろ勘違いしてたんだな。。
は、恥ずかしー。
あんまり恥ずかしいから、記事を降ろして無かったコトにしようかと一瞬思いましたが(おいっ!)、思い直しておとなしく恥晒すことにします。。真面目に読んでくださってた方、ホントにごめんなさい。今から読まれる方は、「あ、こいつ楽しそうに突っ込みいれてるけど、間違えてるんだ」って、生あたたかい目で見てくださると有難いです。。。


 
ネット浮遊していてたまたま出会った資料なんですが。。

阪谷朗廬→江木繁太郎宛 
 
安政元年
三月二七日書翰

「道中浜松ニテ
異船八艘神奈川沖ヘ乗込ミト聞キ、急ギ江戸ヘ入ル、江戸静謐廟堂ハ議論沸騰、老中方夜度々登城武備整ワズ、無謀ノ一戦林則除ガ轍、小生ノ意見ハ権策ハ措キ全策ヲ用イ度シ・・・(中略)・・・極内密異船ニ上リ蒸汽船ヲ観ル、此船ニ乗リ阿墨俄羅斯ヘ行ケバ一興、古賀先生相変ラズ西学研究、異船乗込一件糸井ヨリ差上グベシ、ベルリノ似顔オ目ニカケン」



 
たしか阪谷さんて、渋沢栄一の娘婿にあたる人じゃなかったかしら。うろ覚え(←おい)(後記:今調べたら、阪谷氏の息子さんと渋沢さんの娘さんが結婚してました。。)
手紙を見るかぎり、随分とこう、はっちゃけた人ですね。
古賀先生は、儒学者の古賀謹一郎氏でしょうか?先生も、こんな献策されたらさぞびっくりだろうと思います。。。


こういう手紙を見ると、異船を見て密航を思いついた人は、なにも松陰先生だけじゃなかったんだなーって、実感します。つーか、安政元年ってことは、ペリー二回目来航の時だから、阪谷さんは松陰先生と同じ船に乗り込もうとしてたってことですよね?ていうか3月27日って、松陰先生と金子さんが密航計画を実行した当日ですよね?
どんな偶然?

 引き続き「懐往事談」。
 私の読み間違えでなければ、水野忠徳が島津の東下について種種の見解を述べたのを、福地が回想している箇所がありました。
大原重徳は「下向の勅使何某殿と云へる青公卿」だそうです。爆笑。
 
以下は大原が持ち込んできた勅文について、水野の見解。



「・・・日本全国を挙て焦土となすとも攘夷を御実行遊ばされ度が叡慮なりと申したりと承はる。伝聞の事なれば其實否は疑雲未だ存じ申さず、若し虚説流言にてあらば結構の仕合なれども、不幸にして実説にて有るならば驚入りたる勅使の詞ならずや」。

 

・・・水野さん、叡慮が攘夷実行にあると聞き仰天しているらしい。


  それで思い出すのは、これとほぼ同じ頃、桂さんも偶然に、条約棄却・即今攘夷を当然とする朝廷の風潮に触れて愕然としていたこと。
 「醒めた炎」によれば、このとき桂さんは、「国家のこと(中略)おのずから條理あり、一時壮烈の議論に媚びて、多年の條理曲ぐるにあたはざるものあり。」と、相対する公卿を諌めたんだとか。


 「国家のこと」とは勿論、条約問題を含む、日本と諸外国との間の外交関係を意味すると推察されます。
 ようするに、幕府が既に正式に他国と条約を結んだ以上、これを一方的に破却することは却って日本の威信を落とす行為であり、「一時壮烈の議論」、すなわち巷で流行りの攘夷熱に浮かされて攘夷戦争などと安易に実行すれば、日本は条約違反国として国際社会の信頼を完全に失ってしまうだろう、というのがその発言の主意だったと思われます。
 「一時壮烈の議論に媚びて」、とは言っていますが、実際のところ京都勢力の外国人に対する無知や毛嫌いぶりは酷かったらしい。外国人は犬の顔してるとかの虚説が、本気で信じ込まれていたという話をどこかで読んだことがあります。
 歴史の経過した今でこそ笑い話でしょうが、当時ほとんど機能を無くしていたとは言え、日本の行政を担い得る勢力が、其の程度の知識で国政に関りあまつさえ決定を左右してたなんて、なにやらそら寒いことです。

 

桂さんは「即今攘夷」の内容が、よりによって長州藩世子公が勅使選任された勅諚(!)に記載されている事実を知り、駆けずり回って勅諚の内容を変更させたほか、本当に孝明天皇自らが即今攘夷をお考えかどうか、過去の勅書を当たって確認してます。その結果、真に天皇ご自身のお考えなのだろうということで、以降、「君臣湊川」と悲痛な主張をするようになったとか。

 攘夷は当然、などと黒船来航から実に10年近くが過ぎようとしている時点で公言してしまえる当時の朝廷勢力は、正直暗愚といわざるを得ないものがありますが、それでも長州藩としては勤皇の志を藩論を以て採用している以上、天皇の御意思とあらばそれを遂行するのみ、という悲痛な意志表示であったのだと思われます。

 

・・・水野さんの主張といい、桂さんの発言といい、即今攘夷は愚行との立場と見えるんですが、察するに当時、攘夷完遂とか、戦争すれば外国人を追い払えるなどとか本気で考えていたのは、朝廷勢力と外交の実情を知らない一部の人々だけだったんじゃないかという気がします。国家レベルで考えれば攘夷戦争など、不可避と思い定めようと内実は愚策に過ぎないことを、見識ある人々は既に前提として活動していたんじゃないだろうか。勝麟太郎も、日本はいっぺん外国と全面戦争して、日本全国が焦土と化して見れば日本人も目が覚める、という趣旨の発言があったと何かの本で聞きかじった記憶がありますし、そもそも水戸斉昭からして、大衆一致団結の目的で攘夷を主張したらしいですし。超過激派の久坂玄瑞ですら、即今攘夷とは思いもよらなかったらしいという話を知ると、学校の教科書で尊皇攘夷=天皇崇拝と外国人排斥の思想だ、って教えるのはいかにも安直に過ぎる気がします。どうも攘夷=鎖国&テロリズム、みたいな認知ばかりが広まっている気がして落ち着かない。確かに中にはそういう考えの人もいたんでしょうけれど。


 ・・・勅語の伝聞を聞いた水野さんの意見がまたすごかったです。要約すると、

この勅語の噂が事実だとすると、その内容が勅使一人の軽薄から出たものであれ、攘夷浪士連中の煽動であれ、仮初にも「勅使」の口から出たことを放っておくわけにはいかない。幕府は勅使を江戸にとどめて、直に御老中が京都へ赴き、果たして勅語は真実に天皇のお考えかどうか、伺い奉るべきだ。もしそれが叡慮でないならば、勅使には矯勅の大罪を犯した罪で厳科を下すべきだし、本当に叡慮であるならば、幕府がきちんと主上を諌め奉るべきだ。誠実の赤心をもって申し上げれば、御聡明な主上であらせられるので、必ず御聴納下さるだろう。それでももし御聞き入れが無い場合は、日本全国を挙げて焦土と為さないことが御天職であらせられる主上のこと、

「焦土となるも攘夷を行はんとは恐れながら御一己の御好みを以て天下に易させ玉ふと申すものにて候ふ」

然る上は恐れながらも御譲位を促し奉るか、都の外へ行幸下さるかの他はない、とまで言い切ってます

 

福地はこれを聞いた当時は、なんと過激な議論かと思っていたらしいんですが、後から考えれば、尤もなる次第だったと回想してます。確かに、幕府にこれだけ対応できる力があれば、歴史は変わったかなという気がします。もっと言っちゃえば、長州藩の犠牲も無くて済んだかも知れない。歴史にもしも、は無いんでしょうが。




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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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