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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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今日も水道橋に行ってきました。
予定より1時間ほど早く着いたので、小石川後楽園でお散歩。
この時期って季節の花がないのねー。


Image1292.jpg Image1302.jpg

園内にて、徳川斉昭揮毫の石碑と「藤田東湖先生護母致命之処」碑。
小石川後楽園は、かつて水戸藩上屋敷の庭園でした。

東湖碑については、確か白山通り沿いにも区設の銅看板があったと思います。どちらの碑も、東湖の住んだ長屋の正確な所在地を示したモノではないのでしょうね。水戸屋敷って古地図で見ると、本当にどえらい広さだし。
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久しぶりの周布さん伝。
文久2年6月、前田孫右衛門⇒周布政之助宛書翰

「(源頼朝は)一時の権道を以、覇府を建候儀歟と奉考候、右は不得止事之勢に付、 広元公右之御処置被為遊、此儀に付而は、傍御功業も有之候得共、後世よりは、今に至り彼是と、乍恐誹謗仕候向も有之、山陽翁抔に至り候而は、獅子心中之虫抔と、狼藉を書残し居申候・・」


「獅子心中の虫」とは、頼さんも随分な言いようですが。。。勤皇論が盛んになるにつれて、こういった大義名分論は、随分盛んに論じられていたんでしょうね。
仕える主君をもたない現代人の私からすると、「そんな600年以上も
前の話をほじくり返すことに、なんか意味があるのかよ?」って思いますけど。
ただ当時の長州藩士からすれば、主君の祖先が公然と批難されることは、決して無視できない話だったと思います。
木戸さんが広元公の功業に言及した意味が、少しだけわかった気がします。
 
今日も所用で水道橋にお出かけ。
帰りがけに古本屋を覗こうと目論んでたのですが、行ってみたらお店がお休みでした。
あたりまえだよね。日曜だものね。
先に確認しとけばよかった。

2009_0405photo0007.JPG






御茶の水駅まで、裏道伝いにぶらぶらお散歩。
錦華小学校の門前に、夏目漱石の石碑を見つけました。説明看板によると、漱石は短期間ながらもこの学校に通ったことがあるそうです。
つか慶應4年生まれって。もっと若いかと思った。

絶好のお花見日和でした。
上野で花見見物ついでに、汐留をうろうろ。

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[06/13 山笑]
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プロフィール
HN:
かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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