4月20日、晴れ時々曇。
今日が展示最終日の横浜開港資料館「ハマの謎解き」か、品川の幕末写真展でも見てこようかと思っていましたが、家でぐずぐずしているうちに、気力が無くなりやむなく中止。横浜は、都民にはちょっと遠かった・・・(←言い訳)
出不精は良くないですよねえ。うん。
中断していた『懐往事談』、一昨日頃からようやく手をつけ始めました。
手をつけ始めたといいながら、今朝も読んでいたのは佐々木克『大久保利通』(講談社学術文庫)でした。
我ながら浮気性だな。
さて話を戻して『懐往事談』、冒頭は、日米修好通商条約に伴う安政6年夏の横浜開港時代の話からスタート。今年2008年は開港150周年にあたるので、横浜区のホームページなんかをみても、「開港日まであと○○日!」なんて、大きく宣伝されたりしてますが。おお、なんてタイムリー。
福地氏は、自身の説明によると当時年少の書生身分であったが、英語を学んでいたため幕府の外国奉行管轄下の翻訳事務に採用。すぐに品川や開港前夜の横浜へ出張命令を下され、横浜運上所の「火事場の如き喧騒」「恰も盂蘭盆と正月に同時に落ち合いたる状況」を目撃しています。同じ福地の著書『幕末政治家』(岩波文庫)にも、開港直前の幕閣事務・外国奉行は火事場の如き喧騒であったという記述が見えていた記憶がありますが、まさか本人の生の目撃談だったとは思ってもみませんでした。びっくり。
さてしばらくの間、横浜までの旅路の珍道中が面白可笑しく描かれているので、あはは、と笑っていたところで、唐突に話は安政の金銀改鋳の話へ。
例の、メキシコドルが日本銀貨に、そして日本金貨に化けて日本国内から大量に流出し、幕末のインフレの一原因をなしたといわれる、アノ辺の話です。
・・・まあ外国奉行管轄下だし?いつかはそういう話が出るとは思ってたけど、でもなあ、まだ心の準備がですね・・・。
正直未だに仕組みが理解できない。
仕方が無いので読書は再び中断して、江戸時代の通貨制度を勉強しよう!と決意しました。まあ幕末勉強するならいずれは避けて通れなかったんだと思って観念しよう。
うう、どうなることやら。
14日は実妹と義兄の、15日は義母の誕生日に当たるので、午前の家事を終えたのち、プレゼントを購入すべく吉祥寺へ出陣。誕生日祝いを選ぶのは楽しいですが、何を送れば喜んでもらえるか、毎年悩みどころです。
あまりに不必要なモノや趣味が分かれるのを買うのもNGかな、と思いはじめると、とたんに妙な気使いが止まらなくなります。風呂好きの妹にバス用品をと考えてみても、でも石鹸て贈り物としては良くない意味があったよな、などなど、普段無い知識までもが総動員、結局無難に化粧品やらチョコレートやらに納まりました。4時間も粘ってこれはどうよと自分でさえ思った・・・。
さて、昨日『懐往事談』に手をつけるぞ!と宣言したばかりなのに、電車の中で読んでいたのはなぜか『福翁自伝』。「福翁」は福地じゃなくて、福沢諭吉です。
どうでもいいけど福地さんと福沢さん、名前が「福」始りの外国奉行つながり。そういえば、福沢さんの親友の1人が、福地さんと役宅が隣同士だったと聞いたことがある気がします。お互いの名前やなんかはきっと知っているでしょうが、案外顔合わせる機会も多かったかも知れない。
しかも福沢氏、すごい話し上手でした。読んでいるうちにいつのまにか話に引きずり込まれて感情移入してます。息子である諭吉くんの将来を親身に心配してくれながらも、自身は不遇のまま生涯を終えたお父さんを想って泣いた話は、私も思わず貰い泣きしそうになりました。
乗じて思い出されるのは、友人宛に「親父の意志」を継ぎたい、と控えめにつぶやいていた木戸さんのこと。彼もこんな風にお父さんの愛情を想って泣く事がきっとあったんだろうなと思います。
(結局木戸さんオチなのね、自分。)
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