忍者ブログ
設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
[14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


同じ時代のあの人とこの人の意外な繋がりを発見して、
「えっ、この人たちにこんな出会いが?!」
と驚いてみるのも、歴史ファンの楽しみの一つだと思うのです。
以下81歳の佐々木長淳氏回想談。公=大久保公。


「私が公と初めてお目にかかったのはオーストリアの博覧会の時であった。明治6年の1月に佐野常民伯と同道して、オーストリアの博覧会に行きましたが(略)博覧会のことがほぼ終わると今度は養蚕製糸紡績、この三ツを取り調べるという工部省の命令で、先ずオーストリアでこれらを調べ、後に伊太利へ行って、この三ツを調べておりました。そうしておると、岩倉大使が大久保、木戸らの副使を従えて伊太利へ来られ、ベニスに泊まられることになった。私はベニスの停車場へ迎いに出て、旅館へも同道してご挨拶申し上げたが、これが公にお目にかかる初めてで、しかも欧羅巴ではこの時ただ一回お目にかかったきりであった。」
(佐々木克『大久保利通』講談社、2004年)
 

でもなあ佐々木さん、イタリア訪問時の岩倉使節団には、大久保さんも木戸さんも同行してなかったはずなんだけどな・・・。
編者の注釈(という名のツッコミだと思う)でも、「大久保利通はイタリアを訪問しないで帰国した」、だそうです。
 

佐々木さんは帰国後、自分の所属が工部省から内務省出仕に変えられてた事を、大久保卿が欧州で自分を見込んでくれたのじゃないかと思い、ものすごく感激したそうです。
素敵な美談なんですが、佐々木さんはヨーロッパで大久保さんに遭遇したことは、ホントは一度もなかったんじゃなかろうか(苦笑)。
たぶん真相は、内務省新設置に伴って各省から事務の引継・移行をしてた時期なので、単にそれに伴う配置移動の結果だと思います。あるいは岩倉や伊藤あたりが人材と見込んで大久保さんに注進したか、万博の開会式場をうろうろしていた木戸さんにでも見出されたか。

ただ実際に誰が関与したにしても、当時の日本の重要な輸出産業であった養蚕業に、政府中枢メンバーが大きな関心を払っていたのは確かだろうと思います。
 






・・・・・・と思ったら。
「公が御在世の頃と亡くなってからとは、どうも大変な相違で、全くまア一時は世の中は暗さ。蚕糸の事業は内務卿は非常に力を入れておられたが、卿が亡くなってからは単に農務局蚕糸課に委ねられてしまいました。」

――――――おーい、伊藤さん(笑)???
PR

佐々木長淳著の「新町紡績所沿革」に、木戸さんの名前が出ていた。
 

屑糸紡績所建設は、そもそも木戸さんが内務卿兼任の時に初申請されたそうです。佐々木さん曰く、
「明治7年4月時の内務卿木戸孝允屑糸紡績所新設の事を上請せしがトキ命を得ず」

だそうで、その時は計画はあえなく中止。
ちょうど征台問題やら佐賀の乱でごたごたしていた時期なので無理もないと思う。
しかし、木戸さんが短期間の内務卿兼任中に自ら殖産興業事業を推し進めていたとは、今まで知りませんでした。
いや、考えてみればいたって当たり前の話なんですが。
大久保さんの留守を預かる間に何していたのかと思えば、まさか屑糸紡績所建設に関わっていたとは。
 
さて佐々木氏談によると、同年12月に大久保がこれを再上請し、今度は時期が良ろしかったようで、翌8年3月に無事建設許可を得て、プラン実現に向けた本格的準備が始動したそうです。
明治9年2月着工、明治10年7月1日操業開始。
同年10月20日の式典に大久保利通、伊藤博文、大隈重信らが参加した話は有名ですが、しかし何で大隈?
また同書中に、工場内の諸機械購入の経費が7万4396円59銭1厘と記されているんですが(私の読み違いでなければ)、もしこの通り購入されたとして、かなり物凄い額じゃなかろうか??(ネットで検索したら総工費138,984円、てのがあった。)政府メンバーがそろって開会式に顔を出したのも頷ける気がする。それだけ力を注いでいた、っていう証なんだろうと思います。
 
佐々木さんといえば、人生これ養蚕一筋!な人、って印象がありますが、
この本見てても、紡績所の所内規則だの、所長や従業員の業務細則だの、御雇い外国人と交わした契約書の書面(笑)だの、
わざわざ「沿革」に載せるか?ってことまで、熱心に書き込まれてる。
公文書として、後進の紡績事業にきちんと道筋を示すつもりで書かれたんでしょうね。
これ一冊と資金があれば、私でも紡績所開けそうな気がする(笑)。
あと、石炭は最初からボンボン入れちゃいかん!とか、水を農業用水から借りる時はきちんと断れとか、就業時間は日の出る時間の長短によって季節ごとに決める、だとか、
読んでるとその時代の息吹を感じられて、なかなか面白かったです。

ブログ内を整理しました。
ついでにテンプレートも新装。むろん借りモノ。
背景の蝋がシンプルで素敵だなあと思って。
維新初期メンバーがこういうの使ったかどうか気になるけど、たぶん普段はハンコだろな。蝋は暖炉常備でないと不便そうだもの。

に行って来ました。そして間に合いました!
期間最終日だったけど!
閉館3時間前だったけど!(おい)


以下感想レポ。
ためになるようなことは載せてません。
会場にいたおじさんの話とかそんなんばっか。 

カレンダー
07 2025/08 09
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
[06/13 山笑]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
バーコード
ブログ内検索
最古記事
アクセス解析

Copyright (c)あやめわかたぬ浮世のなかに All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Photo by Kun   Icon by ACROSS  Template by tsukika


忍者ブログ [PR]