佐々木長淳著の「新町紡績所沿革」に、木戸さんの名前が出ていた。
屑糸紡績所建設は、そもそも木戸さんが内務卿兼任の時に初申請されたそうです。佐々木さん曰く、
「明治7年4月時の内務卿木戸孝允屑糸紡績所新設の事を上請せしがトキ命を得ず」
だそうで、その時は計画はあえなく中止。
「明治7年4月時の内務卿木戸孝允屑糸紡績所新設の事を上請せしがトキ命を得ず」
だそうで、その時は計画はあえなく中止。
ちょうど征台問題やら佐賀の乱でごたごたしていた時期なので無理もないと思う。
しかし、木戸さんが短期間の内務卿兼任中に自ら殖産興業事業を推し進めていたとは、今まで知りませんでした。
いや、考えてみればいたって当たり前の話なんですが。
大久保さんの留守を預かる間に何していたのかと思えば、まさか屑糸紡績所建設に関わっていたとは。
さて佐々木氏談によると、同年12月に大久保がこれを再上請し、今度は時期が良ろしかったようで、翌8年3月に無事建設許可を得て、プラン実現に向けた本格的準備が始動したそうです。
明治9年2月着工、明治10年7月1日操業開始。
同年10月20日の式典に大久保利通、伊藤博文、大隈重信らが参加した話は有名ですが、しかし何で大隈?
また同書中に、工場内の諸機械購入の経費が7万4396円59銭1厘と記されているんですが(私の読み違いでなければ)、もしこの通り購入されたとして、かなり物凄い額じゃなかろうか??(ネットで検索したら総工費138,984円、てのがあった。)政府メンバーがそろって開会式に顔を出したのも頷ける気がする。それだけ力を注いでいた、っていう証なんだろうと思います。
佐々木さんといえば、人生これ養蚕一筋!な人、って印象がありますが、
この本見てても、紡績所の所内規則だの、所長や従業員の業務細則だの、御雇い外国人と交わした契約書の書面(笑)だの、
わざわざ「沿革」に載せるか?ってことまで、熱心に書き込まれてる。
公文書として、後進の紡績事業にきちんと道筋を示すつもりで書かれたんでしょうね。
これ一冊と資金があれば、私でも紡績所開けそうな気がする(笑)。
あと、石炭は最初からボンボン入れちゃいかん!とか、水を農業用水から借りる時はきちんと断れとか、就業時間は日の出る時間の長短によって季節ごとに決める、だとか、
読んでるとその時代の息吹を感じられて、なかなか面白かったです。
読んでるとその時代の息吹を感じられて、なかなか面白かったです。
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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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