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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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「行在所電信原書・二」
(3月13日~3月19日)
を漸く読了。
明治10年2月~3月にかけて、田原坂・植木・山鹿近辺での激戦の報知記録。
特に、14日頃より、激しい戦闘が陸続。。


3月16日
午後5時発
大久保(大坂)⇒三条(西京) 抜粋
「14日巡査賊塁に斬込、歩兵三隊を分かち奮戦して田原の賊塁を取り、続いてスルイを抜き是を毀ち、尚街道に沿うて進み、戦い必死の賊六七十人を斃し、其内一塁を守る者、悉く盡すに至る、15日暁、賊田原の塁を襲い来るを、忽ち追い退けたる、此右にありたる金比羅山へ賊大挙して来り、官軍防ぎ戦い、左右より巡査抜刀して斬込、前面より歩兵進撃したるに至って、全く賊を追い払いたり、又熊本より来る者云ふ城内堅固、賊は弾薬キンコクに付、人家に押入り、棒を以て掠め取るにより、人民力を併せ防御する者あるに至る、右戦地よりの報知なり、右の趣本日府県へ達す、以て此旨上申に及ぶ」

3月17日
午前11時発
大久保⇒三条 抜粋
「(15日の)午後6時半、賊三百人を一昨日攻取たる台場へ斬込、比類なき激戦にて遂に追払たり、此賊は日向に屯在し豊後へ出る筈の処、俄かに田原坂へ向かいたる由、隊長は貴島という人也


午後12時発
大久保⇒三条 抜粋
「今抜取三台場へ昨夕賊攻め来たり、既に取らんとする時我手奮戦支えたり、此時オガタコレカズ即死他手負有、上田も出軍且過激の賊、鳥井他二名生捕尋ぬるに、篠原は戦死、軍役乏し
(オガタコレカズは姓名とも漢字不明、篠原は篠原国幹、鳥井は貴島清隊の隊員)

3月18日
午後4時発 
大久保⇒三条 抜粋
昨17日田原坂口の攻撃は、本街道の横手よりして電信柱の邊まで取りきり、側塁を抜き殆ど街道に臨むの勢也、但し本道の正面は激しく攻撃期したれども、側塁は要地を占めたるが故に、未だ抜くを不得、尤も側塁を離るる僅かに三間、賊は頻りに抜刀にて斬込に付、我軍も又是に応ず

3月20日 
午前10時発
黒田清隆(長崎)⇒三条 抜粋
黒木中佐に中隊巡査100名を率い、日奈久より上陸、賊の不意に出で賊参軍狼狽、分捕等有、高島大佐は八代に向う、下官は此兵を率い海路よりただちに八代を進撃の心算」
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所用で水道橋まで行って来ました。
終わった後は、神田川沿いに秋葉原までお散歩。
順天堂の木蓮が三分咲きでした。
季節を問わず、あの辺りを歩くのは好きだったりします。
散歩にちょうど良い距離だし。


秋葉原の書店にて、
石黒敬章「幕末明治の肖像写真」(角川学院出版社)
を購入。最近の書籍は、写真画像のクオリティが高いですね。
お値段が割とアレなんで、当初は購入を躊躇ったんですが、そういえば家にある木戸さんの写真って、むかし霊山で買った300円のポスターだけだな~、と思ったら、とたんに買う気になりました(笑)。
電車の中で目次だけ読んでみたけど、わりとマニアックな人選が多かった。森山多吉郎の写真とか初めて見ました。需要とか大丈夫なのかな?(余計なお世話)




電信原書・二
午前4時50分発同日着  
大久保・伊藤(大坂)⇒三条(西京)
 
「黒田中将軍事に与るに付、名義の事左の通、御名前を以て山縣川村両参軍へ打合わせ置候、黒田中将より談に預かるに付ては、シトウの名義授与有度旨申出ありたり、依て征討参軍命ぜられ可然と内決せり、一応打合わせに及ぶ、至急返信を乞う」

(黒田・・黒田清隆 山縣・・山縣有朋 川村・・川村純良)



事後承諾かよ!
うわあ、これは予想してなかった。
そりゃ仕事の都合上、止む無い話でしょうけど。
こんなこともあると判ったら、この先、電報に記載された名前を信用
できなくなるじゃないか~。
ホントに本人??って。

「行在所電信原書・二」をじわじわ進行しております。。



3月13日午前10時45分発同日着 
黒田清隆(長崎)⇒三条・大久保・木戸(京都・大坂)宛
 
「御委任の件々、悉皆処分せり、鹿児島県令処分見込あり、出京の上、官位剥奪の事に決せり、後細勅使及奈良原より述連の心算、鹿児島県下大いに静謐、鎮台へ巡査フヨウに属せり、直ちに○○○○クチへ○ヲ御
振向相成度、至急其筋へ御指令ありたし、下官進退如可何致哉、鎮台へ処置を以てまたまた至難の場へ御委任被下度御志願す、是又至急御指令を仰ぐ、この旨右大臣へ御送致有度」
(判読不可・意味不明は○、カタカナ)


黒田参議が、自ら戦場行きを志願。
旧薩摩藩士だけに、いろいろと思うところも多いでしょうに。




3月13日午前8時10分発同日着
木戸・大久保・伊藤(大坂)⇒三条(西京)宛
 
「本日午後4時5分発黒田参議より電信の趣承知せり、右は本日山縣川村両参軍へ、左の通り電信を以て談じ置きたれば、右へ指示次第見込可申上、鹿児島無事に処分済み、兵隊巡査フヨウに付ては、黒田参議より至難の地に当りたき旨上願申したる、依て右人数を率き、賊の背後を討たしむる御委任ありて可然と存ず、右至急黒田へ指令の手順在るに付、速やかに返事を待つ」


電報の時間が大変おかしいのはさて置くとして、
(たぶん記録上の問題か、私の読違えと思われる)
即日、三条さんへ話が回されたようです。
なんていうか、渡りに船と言わんばかりの食いつきぶり。
よっぽど人材不足だったのかな。
 
 
 
3月14日午後1時50分発同日着
岩倉(東京)⇒三条(西京)宛

「西郷従道今日明日のうち東京より繰出、二大隊を率き是非出張致度との事に候、是は決して然不可事と申聞けたれとも、頻りに懇願に付、念の為一応電報及候、尤も御同意とは存づれど、何卒不可然旨を至急返事可被下候




さて翌日、黒田の件を聞いたのかどうか、
西郷従道が暴挙に出ました。
曰く、「兵隊を率いて鹿児島へ行きたい。
いやアナタはマズイでしょう!!
木戸さんや大久保さんですら止められたのに!


岩倉さんもさぞやイライラしたでしょうね。
どいつもこいつも!って。
でも従道氏がしつこいから一応、三条さんに可否を問うてます。
君も僕と同じで反対意見だろうけど、なるべく早くダメだと言ってくれ」
うっわあ・・・。


これだけ沢山の人が戦場行きを志願してるけど、実は皆結構良い地位の人たちなんですよね。国難に直面したからには、地位の軽重に関わらず自らの死を賭して立ち向かい、天皇と日本の為に殉じるのが官員の当然の務めだ、と認識されていた時代だったんでしょうね。彼らの多くが下級武士層出身だということを差し引いても、これはすごい感覚だと思います。
ネット浮遊してたら、アジ暦所載の電信原書に衝突。
今や「周布さん伝」や久米さんそっちのけで、夢中になってしまいました。。アジ暦、恐るべし。
 


「行在所電信原書一」
(明治10年2月23日~3月12日)

西南戦争時の政府間電信のうち、京都着の電報の記録。全7冊。
こんなすごいシロモノが、家を出ずしてタダで見られるとは。
便利な時代に感謝。


 
一巻読んだ処で、ひとまずwiki記事と照合してみたところ、見事に情報が噛み合ってなくて(笑)、少しも整合作業が出来ませんでした。
といっても、明確な虚偽記載があったワケではなく、電報に無かった話がwikiに記載されていたり、wikiに無い話が電報に記載されてたり、といったことなんですが。
あまりの不整合っぷりに、ちょっと動揺しました。。。


原因を考えるに、wiki記事は薩軍側の資料がベースらしいのと、官軍の電報は情報量が制限されるというリスクを負ってるから、ある程度の不整合は仕方ないのかも。
ただ、電報の方が、どうも味方側の戦勝報告が多くて、少しアヤシイ匂いを感じました。例えば「戦勝だけど味方の被害は甚大」と報告するとき、意図的な情報攪乱はなくても、被害情報だけが、報告を上に通す過程で、ぽろぽろ落ちて行ってしまったのかも知れない。
そんな想像を掻き立てられる不自然さでした。
ただ、政府の伝達手段は電報だけではない筈なので、単に詳しい報告を他に譲っただけかも知れません。
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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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