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設置者の設置者による設置者のための個人ブログ。日々の徒然&木戸公愛。
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「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

昨日は、松陰神社の「幕末維新祭り」に行ってきました!あいにくの曇り空でしたが、何とか天気も崩れず無事にすみました。が、本日の東京は、うって変わって猛烈な夕立と雷模様・・・。以下感想です。


 

140円の路面電車に乗って、ゴトゴトと「松陰神社前」に到着。
駅前から結構な人出でした。
ふおお、さすが松陰先生!御遺徳が偲ばれます。

家を出た時間が遅かったので、仮装パレードは思いっきり見逃しました(おい)。ま、いっか。いつか京都の時代祭で埋め合わせれば良いや。それより神社に着くと、ちょうど神輿が境内に入るところに出会いました。本殿前で迎える最後のクライマックスを、ばっちり見物。

威勢の良い掛声とか甲高い笛の音を聞いて、松陰先生は地元に愛されてるんだなあ、と思いました。いいなあ、私もあの神輿を担いで見たいぞ!糸米の木戸神社でも子供神輿が練り歩くそうだけど、それはきっと混ぜて貰えないだろうし(涙)
 
 
4時から松下村塾の模型前で講演会があったので、始まるまでに、ひとしきり神社をうろうろ。石灯籠群を舐めるようにチェックしたあと、先生のお墓参りをして、木戸さんが献納した鳥居、良蔵さんと治子さんのお墓も無事発見。
(ところでワタクシは寡聞にして浅学ゆえ、同所に中谷正亮氏や野村靖夫妻のお墓もある事をつゆ知らず、案内看板を読んで仰天してました。ご、ごめんなさい!)


木戸さんの鳥居は、なんというか、芸術的に美しいフォルムでした。
ずっと眺めていたくて、しばし、周辺を犬のようにぐるぐる廻りながら見惚れてました。(←不審者)
墓域は鳥居を3つも潜った内側だからなのか、外の喧騒と隔たった静寂に包まれて、なにやら別世界の心地がしました。いやお墓とは本来そういうものでしょうが。私は松陰神社に来てるというだけで頭が沸騰していていて、思いっきり俗世の空気に浮かされてたけど、本来こういう人間が立ち入ってはいけなかったんだろうな。後で後悔することしきりです。




 
 
 ・・・さて、ここからちょっと真面目な話になりますが、男前な松陰先生の野外劇を拝見した後、「司馬遼太郎が描いた松陰と晋作」と題された講演を拝聴しました。内容はあくまで一般向けを意識したもので、要約すると、
 
 
司馬小説はエンターテイメント小説である、しかし時に故意に作品内容が史実であるかのような雰囲気を演出(架空の古文書を捏造する等)したり、人物描写においても、例えば松陰先生が熱烈な勤皇論者である点や、高杉晋作が封建的価値観の持ち主である点などが、一切無視されていたり、赤根武人を完全なスパイとして描いたり(そのためにスパイ文書をこれまた捏造)、もし史実として読むなら、とても見過ごしに出来ない重大な欠落が少なからずある、だから司馬小説はあくまで小説として楽しめばよいし、小説を読んで歴史を知った気になっちゃいかん、

とまあ、こんな感じだったでしょうか。

幕末ファンなら誰でも一度は考えるらしい司馬小説の功罪を、卒無い結論で締めくくったなあ、と、そんな感想をもちました。




 
 まあそれは別にいいのですが、内容を聞いてると、「ん?」と思わずヘンに感じる部分が、ちらほらあったのです。時間が経つにつれ、この違和感はいよいよ強く感じられてきたので、このさい全部吐き出してしまいます。

 まず一点は、司馬小説と史実の相違を指摘するなかで、山県有朋が相もかわらず悪役だったトコ。司馬小説もそうですが、講演者の方自身が、ことあるごとに山縣を黒幕の槍玉に挙げていました。それは、あるいは史実かも知れないですが、歴史の黒い部分に触れるたび、維新まで生き残った人物の名前を挙げては責任を個人に帰して済ませるのは、いかがなものでしょう。高杉や赤根ら、維新前に亡くなった人物は1回も非難の槍玉に挙らなかったところをみても、ちょっとステレオタイプ的見解に固執しすぎかなと感じられました。

 
それから、「明治の元勲」という言葉が、栄達欲と権力欲の象徴として使われていた点。これまたさして珍しくないので、またか、くらいの気分ですが、もし維新前に亡くなった方を研究対象にされておられるのでなければ、この講演者もこうも気軽には仰らないだろうに、と、ちょっと物悲しい気分を味わいました。維新前と維新後のあいだに明確な線引きをして、前者は善で後者は悪、と結論づける例の妙な風習が、研究者のなかにも在るらしい事が、正直ショックでした。
 
 
歴史解明を真剣に考えるなら、シンプルで断定的な言説には疑問をもつとか、既成観念に染まらないように気をつけるとか、あるいは資料の読解に思い込みを用いていないか考え直したり、多角度から史実を眺める視点を心がけたり、思いつく限り慎重に臨まないと、歴史考察も上滑りなものになるんじゃないかと思います。



 
・・・と、ずいぶん偉そうな事言いましたが、講演を聴いてすこし悲しい気持ちになったのを清算したかったのです。すみません。ただ、都合の良い話だけど、自戒になれば、とも思います。歴史評論にありがちな事ですが、誰かを潔白と言わしめるために、別の誰かを諸悪の根源のように扱うやり方は、決して気持ちの良いもんじゃないと思う。なるべくなら、自分はそうしないよう心がけたいです。。。
 
 
などと、最後はちょっと頭がぐちゃぐちゃしたまま出てきちゃったんですが、とにかくいいところでした、松陰神社。また行きたいです。
 
 
 
ところで帰りがけ、商店街の看板に 「ショーイン君」と「シンサク君」と「ゲンズイ君」を発見!ぷっ、なにコレ(爆笑)!!シンサク君が笑顔満開なのが一番ツボりました。キツネ目だから爆笑顔に描かれたのでしょうか(笑)?

 
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かゆ
自己紹介:
某WJ雑誌で掲載中の幕末パラレルギャグ漫画にて、黒髪長髪和服の人に転倒し、すっかり深みから抜けられなくなったオタク。そして深沼の底にて木戸さんに出会う。「醒めた炎」はバイブル。あの本で同時に村松氏のファンにもなりました。今は一刻も早く読了したい。
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